2023年12月6日 「ボーイスカウト横須賀第17団 発団50周年記念誌」
当寺を本部とするボーイスカウト横須賀第17団は、3年前(令和2年)に発団50周年を迎えました。コロナ感染症拡大により、残念ながら記念式典は中止となりましたが、その歴史の節目として記念誌が作成されました。
「我等、その根底に流れる揺るぎなき精神」~ 発団50周年に寄せて ~
乗誓寺住職 曽我 宗光
この度、横須賀第17団が結成より50周年を迎えましたこと、誠におめでとうございます。半世紀50年という年月の中、これまで団の運営に様々なかたちでご尽力をしていただきました全ての方々に心より感謝を申し上げます。
この横須賀第17団は、私の父であります前住職・曽我宗允がボーイスカウトの掲げるその理念に感銘を受け、多くの方々にご協力をいただき昭和45年(1970年)に発団をいたしました。今年、私は50歳という年齢を迎えましたので、つまり、私が生まれた年にこの17団は結成されたということになります。
自らの幼少期を思い返してみますと、当時、平日は併設されていた浦賀幼稚園に通う数多くの園児たちで、そして週末の土日は17団に所属する多くのスカウトたちで乗誓寺の境内は溢れかえっていました。土日のお寺は非常に忙しく、家に居ても遊び相手がいないため、幼稚園児の頃は少し年上のカブスカウトたちに交じり、よく遊んでもらっていたことを今でも記憶しております。その後、親しみ、そして憧れを持ったこのカブ隊に私は小学校3年生の時、入隊することになるわけですが、高校(当時のシニア隊)までの間、スカウト活動を通じて様々な経験をさせていただきました。ジャンボリー、ハワイ研修、団キャンプ、班キャンプ、ナイトハイク、オリエンテーリング、街頭募金活動、手旗訓練、アマチュア無線、ロープワークの習得など数えきれないほどの活動内容、これら諸々の活動は家庭生活と学校生活の中に収まっていては到底体験することができなかったものでありました。
また、この多感な青年期、言葉を換えれば親や教師の言葉を素直に受け入れることに難色を示すこの時期に「ちかい」と「おきて」の中にも掲げられる自発的な他者へのいたわりの心、つまりボーイスカウト教育の根幹を成す「奉仕」の精神が決して強制というかたちではなく、自然と自分の中に植え付けられたことは、大変有難いことであったと改めて実感するところであります。
ボーイスカウト経験者にはもしかしたらよくあることなのかもしれませんが、社会に出て多くの人々と出会う中で、「何かこの人はボーイスカウトの匂いがするな・・・。」という直感が働くこと、これまで幾度となく私はこのような状況に出くわしてきました。ある程度、その方と親しくなった後、実際に話を伺ってみると、まさしくその直感の通り、皆さん、間違いなくボーイスカウト経験者。いったい何をもってしてこの直感が働くのだろうか、よく考えてみますと、やはりそこには間違いなくその行動すべてに「奉仕」の精神、その宿りを感じることができるのです。
当団は、京都西本願寺(東京教区教務所 築地本願寺)を本山とし、親鸞聖人の教えをその根本に据える浄土真宗本願寺派 乗誓寺を母体とした団となります。この世の中に生きている以上、人に迷惑をかけながら生きていく、それが我々の本当の姿です。そのような存在である人間に光を当ててくれる存在、それが仏様。仏様を通してのみ我々は自分の本当の姿を知ることができないのかもしれません。仏様の分け隔てなき慈悲の光に包まれて、スカウトたちが今後も心健やかにこのボーイスカウト活動に従事し、素晴らしき歩みを進めていただけることを心よりお念じ申し上げ、私からの祝辞とさせていただきます。
「み仏(仏様)の恵み(あらゆる人々を平等にいつくしむ慈悲の心と光)を喜び、互いにうやまい助け合い社会のために尽くします。」
【「浄土真宗の生活信条」より一部抜粋】
合 掌